HataIro
美しいものは、美味しい
HataIro KYOTOは「美しいものは、美味しい」ということを大切に、見た目も美しく、味も美味しく、満足感のあるお料理の提供を心がけています。
食べた人に「こんな旨み初めて感じました」「これなら毎日食べたい」と言っていただけるように、日々美味しさの追求をしています。
「野菜」という言葉を聞いて、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
おそらく「サラダ」を連想される方が多いと思います。
しかし、一般的なサラダで感動したり、人に勧めたいと思う機会はなかなか少ないのではないでしょうか。
わたしが手掛ける「ローストヤサイ」は、味も見た目も感動的で、毎日食べたいと思える美味しさから、食べた人が人に勧め、口コミだけでここまで広がってくれました。
とてもシンプルに見えるお料理なのに、色鮮やかで美味しく、この洗練されたお料理ができるようになったのには理由があります。

人にお料理を振る舞いたい想いから
わたしは子供の頃からお料理が大好きで、母親のマネをよくしていました。
大人になってからの家庭生活の中でも、器や盛り付けにかなりこだわって作っていたんです。
「もっといろんな人に食べてほしい!」という想いから、会員制のお食事会「ウチcafe」を開催するようになりました。
最初は友人を中心に集めて開催していたのですけど、少しずつ口コミで広がっていきました。
お料理は今みたいにプロフェッショナルなものではなくて、どちらかというとテーブルコーディネイトとかスタイリングとか、インテリアにもこだわりながら、空間と共にその時間を楽しんでもらっていました。
振り返ってみると、このときから「人に料理を振る舞うのであれば、美味しいのは当たり前」という考えでした。
美味しいのは大前提で、それにプラスアルファの楽しみとして空間をデザインし、感動してもらいたいという気持ちが強かったんです。
このときがケータリング事業のスタート地点だったのかもしれません。
主婦がいきなり飲食店の店長に
その時、ブログやFacebookなどで「おうちごはん」とか「ウチcafe」の投稿をしていたのを知り合いのオーナーさんが見てくれていました。
そして、ただの主婦にまさかのお誘いをしてくださいました。
「うち、料理人が不足しているから働かないか」って。
これまでどこかで料理を勉強したことがあるわけでもなく、ただの主婦が料理人として働くことに戸惑いはありました。
でも、これは普通ではあり得ないチャンスだと思い、不安をよそに初めて飲食店で働いてみることにしました。
そこから怒涛の日々が始まります。
3週間ぐらいアルバイトで働いていましたが、突然「今から1週間でメニュー決めて、料理長と店長して」と言われたんです。
たった1週間しかありませんでしたが、「こんなチャンス二度とない」と思い、また思い切って引き受けました。
このときはもう、わかることがなさすぎて、不安という感情を持つことすら追いつかない状況でした。
でもこの決断があったからこそ、お料理の知識も腕も、人との接し方も学ぶことができました。
自分が店長としてメニューを全部決め、ワインも選び、オープンしました。
オープンをしたあともわからないことだらけです。
だから週に1日の定休日を活用して、主婦時代に仲良くしていたイタリアンバルに毎週アルバイトに行きました。
そのアルバイトで感動したのは、業務用の食洗器の早さです。
「もうできたの?」みたいな。
それに笑われた記憶があります。
数週間前までただの主婦だったので、それくらい何も知らない状態でした。
知識よりも感覚で創り出す発想
店長になって特に苦労したのは、ワインの仕入れでした。
わたしは選ぶもの全てにおいて、「自分が好きかどうか、グッと心を満たされるかどうか」という感覚が全てでした。
飲むワインもそうやって決めていました。
だからワインに関してはまったく知識がなかったし、お客さんの方が詳しいわけです。
それをどう接客するのかっていうのはすごく苦労しましたね。でも最終的には自分の感覚を大切にすることにしました。
良くも悪くもわたしは料理の修行をしたわけでも、シェフから学んだりもしてこなかったので、料理業界の知識がなかったんですよね。
だから、ワインの知識があれば「そのワインとその料理組み合わせないよね。」という組み合わせをしていたこともあるかもしれません。
でもわたしの感覚で「このお料理とこのワインは合う」と思うものを選んで「このワイン、このお料理にすっごく合うんですよ」っと言うと、お客様はとても満足して飲んでくれるんです。
ワイン好きの人も「その組み合わせはしたことない」ということで新しい発見を楽しんでくれました。
だから知識を勉強するっていうよりは、自分が好きなワインを置けば説明できる、自分が「これ好き!」と思うものを自然と勧めるようになりました。
少しづつお店がまわるようになったところで、お客様に「うちで店長シェフやらない?」って声掛けてもらったんです。
その時のお店には、元主婦が店長として働けるくらいまでの環境を提供してくれたので感謝していました。
でも、もっと新しい挑戦をして知識も経験も積みたいという思いから、さらなるチャレンジを求めて新しい店へと移ることにしたんです。
2店舗目もお店作りやメニュー作り全般に携わらせてもらい、とても良い経験になりました。
どれだけ頑張っても自分の店ではない
そこのお店を離れることになったのは、当時親しくしていた飲食店のオーナーさんにもらったアドバイスがきっかけです。
無我夢中になって働く私に、「どれだけ頑張ってもそのお店はマエちゃんのお店じゃないからね」と言われたことがきっかけでした。
この言葉がきっかけで人の下で働くのではなく、自分でお店を持ってみようか、と考えるようになりました。
自分のお店を持つといっても、お金もなく、何からすれば良いのかわからない状態でした。
そんな時に、当時紹介していただいた税理士さんに、「自己資金がなくてもお金は借りられますよ」と教えてもらったんです。
普通、自己資金ないのにお金借りるのって怖いじゃないですか。
でもわたしはほんとに無知すぎて、お金を借りて上手くいかなかったことなんて考えてもいませんでした。
今でも普通の人だったら絶対できないだろうなっていうことにも飛び込んでしまったりします。
念願のキッチンスタジオを開設
雇われ店長時代に兼業で依頼があればケータリングのお仕事をしていた時がありました。
当時はシェアキッチンを借りて、依頼を受けていました。
でも、シェアキッチンだと戦えないんですね。
人と共同で借りるわけですから、依頼日にスケジュール大丈夫かなとか、融通効かなくてお仕事をお断りすることになったり。
それ以外でも、ケータリングは早朝からの準備が必要で、帰りが何時になるかも分からない。
深夜12時くらいに帰ってきて、そこから2時間かけて洗い物や片付けをしなければいけないことがよくあります。
そのような業種なので、依頼をしていただいているのに不安で戦えないのがすごく嫌だったので、「自分のキッチンがほしい」って思うようになりました。
そこで、そのとき借りた創業資金で、最初にキッチンスタジオを作りました。
今も使っているキッチンスタジオはその当時作ったものです。
キッチンスタジオができ、個人事業としてケータリングのお仕事がたくさん受けれるようになり、拡大していきました。
ケータリング事業は、主婦時代からやっていたこともあり得意分野です。
それに加えて料理の知識も腕も上がってきたので、それまで以上に評判が良くなり、徐々に依頼も増え、お仕事も軌道に乗り始めました。
最高1日で200名様ほどのケータリングのお料理を提供させていただくこともありました。
その後、2019年にHataIro KYOTOを設立しました。
ハタイロのスタイル
今のお弁当という形をご提供するようになったのは、コロナ禍でおウチ時間が増え、人々のライフスタイルに大きな変化をもたらした中でも、食は決してなくならないからです。
こんな時代だからこそ、これまでよりもっと身近で日常のスペシャリティとして、さらにたくさんの人たちに届けたいと思ったからです。
自分を見つめ直す時間が増えたこの時に、食べるほどに健康を感じられたり、心が豊かになったり、その時間が華やかになったり、この時代だからこそ、心と体が整う、この「ローストヤサイ」がピッタリだと。
そして、ケータリングの時のサプライズ感や華やかさ、エンターテイメントを、もっと身近にもっとたくさんの人に感じてももらいたいと思っています。
ケータリングのイメージをそのままぎゅっと一箱に詰め込んだものが、今のデリボックスのひとつひとつであり、わたしが届けたいギフトボックスなのです。